今日の出来事。

事件の内容がどうであれ、
死刑という刑罰の存続は今の所賛成だったりします。
特にこの一、二年の間、
意味の無い殺人事件が横行している為か、
自己防衛のためと人類の淘汰のためにはやむを得ない刑かなぁとも。
残念ながらその意味の無い事件たちには
精神未発達な大人や子供、それに関連してるのか精神疾患を持つ犯人達が多い。
そして裁判では精神病だから無罪。
私は善悪の判断が出来なくても罪は償うべきだと考えてます。
本人が自覚できるか出来ないかが問題ではなく、社会で生きる為に全体の中の個であるために必要だからです(もちろんその前提として全体の社会の判断に間違いが無いことが絶対だけど)。

そして…
残念ながらいくら正しい判断で諭したりしても受け入れてくれない重度の疾患を持つ人々が居るのも事実です。
私はいくつになっても人間は精神を成熟させる事が出来ると信じてますが、
本人に受け入れるだけのやる気(これはある意味がむしゃらに生きる為の生命力ですね…)がなければどうしようもありません。
精神疾患は素因よりも環境の方が影響するんじゃないかと以前にも書いたけど、
その幼少時の環境が人格形成の大半を占めてるのは事実で、
その出来上がった人格をひっくり返すのは相当に難しい。

…んで私の中でひどく冷血で冷静な考えが出来ちゃうんですな。
野生の鹿は現在個体調整をしてます。
増やした人間が減らしてる。
人間も人間である意味個体調整は必要なんだろう…と。
おまけに重罪人が塀の外へ出てきた場合、再犯に巻き込まれたくないし。

私の小さい頃の殺人事件はお金がらみで貧乏だからとか、それなりに理由があったものです。その昔もそのまた昔もあまり内容は変わらないと思います。
理由があってある程度もがいた上での殺人。
最近は理由があってももがかずに簡単に殺人したり、
前述のとおり意味無い殺人だったり(弱い物いじめの延長…)
何か行動を起こすためのワンクッションが足りない。

ついでに言うと、今回執行された某死刑囚の獄中結婚の相手、
多分立派な精神疾患を持ってるんじゃないかなぁ(だって逮捕されてから自分から手紙出したという話…苦笑)
ダメな男を愛して立ち直らせようという自分に酔い、それで精神の均衡を保っている。
そういう人はドメスティックバイオレンスや似たようなダメ男にかかる確率がとても多く、それはそれで立派な病気だそうです。
うまく相手が立ち直ってしまったりしたら、それで自分の存在価値を見出せなくなって発病したりするそうです。
これも依存症だよな(^.^;
自立しなきゃぁなぁ。